これまでを振り返って⑥ 発展と模索 (2015年)
前回の衰退のきっかけになった事件は、人望のあるメンバーが企画する山行ばかりに人が集まり、それを面白くないと思った運営側(一部の創設メンバー)が山の方向性の違いを理由にそのメンバーを退会させた事が発端でした。いわゆる派閥争いのようなもの。
私はその退会したメンバーと比較的仲が良かったので、どっちに着くのか(続けるのか一緒にやめるのか?)を迫られました。残る事にしましたが、かなり理不尽な思いをしました。
なので、自分が運営の立場になった時はそのようなゴタゴタが再び起こらないようにというのを心がけました。
基本方針は以下の二つです。
①山行の参加募集は全ての会員を対象にする
自分の仲の良いメンバーとだけ集まって山に行く事を許容すると、当然仲良しグループが出来ます。誰を誘って誰を誘わないかというのが横行すると不満を覚えるメンバーが発生すると考え、メンバーの選り好みをしてはいけないとしました。
また、入会間もなく人間関係を十分に築けていない人でも気軽に参加できるようにという思いもありました。
②同じスタイルの山行を同じ日に実施しない。
例えば鈴鹿のハイキングが同じ日に企画されると、どうしても自分と仲の良い人の山行に参加する事になります。そうなると人気のある人の山行にメンバーが集まり、そうでない人の山行には誰も集まらない状況が生まれます。(当たり前の事ですが)
せっかく企画しても人が集まらないと面白いはずが無いので、そういう事態は極力避けようと考えました。
今から考えるとかなり制約の多い方針です。全ての山行が、通常の山岳会の「会山行」に当たると思います。ただ、とにかく山行が仲良しグループ単位に偏らないように、新しく入ったメンバーがすぐに溶け込めるようにという思いがありました。ある程度機能していたのは小規模なハイキングクラブだったせいかもしれません。
しかし、会員が大幅に増えたおかげで一つの山行参加人数が10人を超えるという状況がしばしば発生しました。山行内容によっては危険であったり、思うような行程で歩けない事があったりしました。
そこで②については廃止し、山行企画に制約を設けるのをやめました。そのおかげで会全体の山行回数は一気に増加し、年間86回。もっとも停滞していた時期の4倍にもなりました。
ただ、公平性を持たすためにルールを厳格化するとどうしても守らない人も出てきます。メンバーを募集せず、会にも届け出を出さず、好きなメンバーだけで山に行く人が出てきたり。
この辺りから山を楽しむ事よりも組織運営をいかに円滑にするかという所に意識が行ってしまったように思います。
山を楽しむ為の山の会が少しづつ、苦労と苦心の種になってきました。
2015年会全体の山行回数 86回/年 内40回企画(個人総山行回数56回)